今は道路整備による交通網と運送技術がすすんだため一般的になりましたが、昭和60年頃までは松江の方々はいつでも活きのいい旨い魚を食べることは稀でした。
松江市内では恵雲港(松江市街より北へ約10km離れた日本海に面した漁港)で水揚げされた新鮮な魚を恵雲のおばさん(ご夫人)が大きな籠を担いで各家に売り歩く姿をよく見かけ「恵雲の行商」は長年松江の物詩のひとつでした。新鮮な魚介類は「恵雲の行商」姿と重なる方が多いと聞きますので、松江では日本海の活魚を食する習慣はほとんど無かったように思います。
私は雲南市掛合町で昭和27年に生まれました。松江の方は奥出雲地方と呼ぶ広島県境に近い山間地で育ちました。田畑や山の幸に恵まれていましたが、海から遠く新鮮な魚を食べる機会はほとんどありませんでした。
私が人一倍活魚に強い執着を持ちつづけていることは、山間地で生まれ育った幼少期の体験から「旨い魚を食べたい」想いが体のどこかにあると思います。また昭和52年笠浦港の定置網漁を体験してから、お客様のために少しでも活きのよい魚を提供できるのではないかという夢が、それを機に現実にむけて動くことになりました。
海鮮問屋博多は魚の活きには自信を持っています。より活きの良い魚を提供したいため、自ら博多丸を所有しています。釣り上げる魚は定置網の魚とくらべるとストレスが少なく、一匹づつ扱うので魚体の傷が少ないことも特徴です。舌が肥えた魚の味にこだわるお客様も「旨い」と納得していただいています。
そのためか、海鮮問屋博多の材料に掛かる経費は一般の料理店と比べて高くついていますが、お客様の「活きがいい」「旨い」という言葉をいただきたいから材料には経費を気にせずにかけています。
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